断絶と再興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 00:02 UTC 版)
「東郷文弥節人形浄瑠璃」の記事における「断絶と再興」の解説
明治時代になると人々の浄瑠璃に対する関心が薄れ、暫く演じられていなかったが、1936年(昭和11年)に藤川天神の宮司であった川添栄太郎によって一時的に復活した。しかし、第二次世界大戦の開戦と共に中断された。 終戦後の1949年(昭和24年)頃には東郷町人形浄瑠璃振興会が結成され、再び演じられるようになったが、1952年(昭和27年)に東郷町の町制施行記念芸能大会で上演されたのを最後に振興会は解散した。これにより、またも演じられなくなった。
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