教育の島へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 09:38 UTC 版)
島には国立高等専門学校機構広島商船高等専門学校がある。開校のきっかけは明治時代、島では廻船操業が盛んだったところ1896年(明治29年)船舶職員令が改正され従来の船頭では近代船の船長になることができなくなった。そこで近代的な船舶ルールを学ぶ商船学校を設立することとなり、豊田郡内で最も船を持っていた東野村・中野村を中心に、大崎上島(東野・中野・大崎南)、大崎下島(御手洗・大長・久友・豊浜)、および周辺沿岸各町村(木谷・吉名・田之浦・佐江崎・須波)の13町村で学校組合を組織し、1898年(明治31年)組合立芸陽海員学校として創立した。のちに生口島、高根島、忠海町などの町村も組合に加わり甲種船長養成学校となり、1899年(明治32年)実業学校令に基づき芸陽商船学校に改名され、と現在まで続いている。 2013年(平成25年)政府は日本再興戦略の中で国際バカロレア認定校の大幅増を目指すと決定、その中で広島県教育委員会では併設型中高一貫校「(仮称)グローバルリーダー育成校」を新設する動きとなり、県内の各市町が誘致に動いた結果、大崎上島に決定した。その広島県立広島叡智学園中学校・高等学校は2019年(平成31年)開校した。
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