教会の冷たき椅子を拭く仕事
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
冬 |
出 典 |
夜の客人 |
前 書 |
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評 言 |
田中裕明は2004年12月、45歳の若さで亡くなった。 この句は異国情緒溢れる横浜のカトリック山手教会での句である。 端正に並んだ椅子を黙々と拭いている人がいる。拭く人の息の白さと雑巾を持つ手の画一的な動きのさまは、机をすべる布と白い息がすぐそこに感じられ、音と色とが教会のやわらかな光と混ざり合い美しく見えてくる。この幻想的な美しさは詠む人の心を優しくしてくれる。 木に触れたときの肌の温かさ、座した時の肌に触れる硬さ。この二つの取り合わせも教会という世界の中での神への親しみと畏敬の念を持つ人びとの心の重なり合いと響いてくる。 一日の仕事と一日の糧を得ることへの感謝。そして毎日繰りかえされる生活にはささやかな人としてのぬくもりと人として生きる姿勢の確かさがあり、椅子を拭くという動作からは何物にも動じない安らぎさえも感じることができる。 人として生を受け、生きていることには何一つ無駄なものは無いというが、ひたすら拭き続ける単調な仕事も、執着ではない神から与えられた仕事であり、その人に与えられた存在の証であろう。 澄みきった教会という場の空気の動きと時間の流れの景がそこに広がってくる都会的な一句です。 |
評 者 |
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備 考 |
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