敗軍の損害について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 22:35 UTC 版)
北条方の史料によれば、上杉軍の撤退が始まると、北条氏政は武田信玄に「敵数千人手負死人出来」(『諸州古文書』)と伝え、足利義氏は臣下の豊前山城守に「去廿三日大責致し、五千余手負い死人出来せしめ、廿五敗北の段、孚以って肝要御満足に候」(『豊前氏古文書抄』)と書き送った。しかし、この死傷者数には誇張があり、上杉方の記録である「房州人数三百余人打ち死に」(『海上年代記』)が実態に近いとする論考があるが、なぜこの数値を誇張と判断したか、上杉方の記録を正しいとみたか、その論拠に関しての言及はない。『諸州古文書』と『豊前氏古文書抄』の記録は「手負死人、(死者と負傷者込み)」であり、『海上年代記』は「討ち死に」に限っているという違いもある。
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