救助後の人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 04:01 UTC 版)
「プリンセンダム (客船)」の記事における「救助後の人々」の解説
救出された乗客・乗員は、ヘリコプターが給油のためにヤクタトへ向かった時点での救出者を除き、ウィリアムズバーグとバウトウェルに収容された。ウィリアムズバーグは充実した通信機能とその巨体により救助活動の中心となった結果、370人以上が収容された。バウトウェルには87人、ヤクタトには60人ほどが送られた。多数の救助者を受け入れたウィリアムズバーグでは、薄着で漂流していた事による低体温症に加えて、ショック症状、挫傷、疲労による消耗、持病の悪化などをアメリカ合衆国、カナダ両国の軍医、衛生兵が対処した。温かい飲料が供給され、プリンセンダムから救助された乗員・乗客は互いに様子を確認しあうことで軍医らの負担を減じることになった。十分な衣服を身につけていない人に対しては、乗員の衣服が提供された。これは、バウトウェルにおいても同様であった。 正午にバウトウェルがシトカに、夕刻にウィリアムズバーグがバルディーズに入港、ホーランド・アメリカラインの負担と住民の好意により救出者に必要な品が供給された。後の統計では最終的な負傷者は、全524人中24人が計上され、犠牲者は出なかった。
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