捜索と工事再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 20:13 UTC 版)
自衛隊の災害派遣や緊急消防援助隊として東京消防庁のハイパーレスキューや名古屋市消防局の救助部隊なども出動して,1,600人規模の捜索体制が敷かれた。流出した大量の土砂や2次災害の危険性に捜索は難航したが、12月14日までに13人の遺体を収容。その後捜索を一旦中断したが、翌1997年春に捜索を再開し同年5月16日に最後の行方不明者の遺体を発見した。 工事の再開には、リモコン操作の重機を扱うなど作業員をなるべく沢に立ち入らせない無人化施工が取り組まれた。退避の基準雨量を引き下げたほか、2箇所の監視小屋を設け、視界が悪い場合は作業を中止するようにし、上流部に土石流を検知するワイヤーセンサーを設置、大規模な避難訓練を行った上で、1997年8月22日に工事を再開した。
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