挿絵画家として活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/14 02:05 UTC 版)
当時は多くの画家が生計を立てるため挿絵を描いており、梁川も児童小説家の筒井敏雄の紹介で、1931年(昭和6年)に小学館の「セウガク一年生」に擬人画「動物の花見」を描き、挿絵画家としてデビューした。その後、富田常雄の紹介で大日本雄弁社講談社の雑誌に挿絵を描き始める。1937年(昭和12年)、江戸川乱歩が少年倶楽部に連載した小説「少年探偵団」の挿絵を描く。少年倶楽部では、1938年(昭和13年)に少年探偵団シリーズの「妖怪博士」、佐藤紅緑の「黒将軍快々譚」、1940年(昭和15年)に「新寶島」の挿絵を描いた。また、1937年に講談社の絵本の第28巻「リンカーン」の挿絵を描く。
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