担任業務の変更
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1937年(昭和12年)9月、所沢陸軍飛行学校が廃止され、それまで同校で行われてきた操縦学生などの教育も本格的に熊谷陸軍飛行学校で行われるようになった。同年12月、熊谷陸軍飛行学校令改正(勅令第600号)により特種生徒に操縦候補生を加え、さらに同校において航空兵科尉官および下士官を特種学生とし、航法または気象に関する航空兵器の調査、研究なども行うことが定められた。学校の編制は校長、幹事、本部、研究部、教育部、および材料廠となった。 1938年(昭和13年)1月、陸軍省告示第5号により一般からの召募試験に合格した操縦生徒は、前年12月に開校した東京陸軍航空学校に入校し基礎教育を行い、同校を卒業したのちに熊谷陸軍飛行学校で操縦教育を行うよう改められた。
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