扶桑中原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 08:38 UTC 版)
日本列島で言うところの中部地方。気候は温暖だが荒れ果てた大地は乾燥しており、強い風が吹きすさんでいる。朝廷が東西に分裂し、東朝と西朝が互いの正当性を巡って戦場としており、長きに渡る戦乱に晒されてきた(大地が荒れているのはこれが大きな原因)。その結果、無法地帯となっており、法より義を重んじる武侠たちが多くさすらう地方でもある。一時期は江湖から身を引いた瑞雲による平和な統治がされたこともあるが、東西朝廷は懲りずに戦乱を繰り返した。これによって孤児を始めとした多くの民衆の命を無残に奪われ、朝廷の横暴に瑞雲は遂に怒り、「天文会」を創設、自らを瑞雲覇王・瑞覇と改め、朝廷に宣戦布告した。天文会の武侠達によって多数の武将・兵士が討ち取られ、これに怒った東西朝廷が報復する、と繰り返され、その戦乱は泥沼化の一途を辿った。
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