戦術・方針
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 14:44 UTC 版)
トトメス3世が好んだ戦術は、国家が完全に屈服し投降するまで、その最も弱い都市または州を1つずつ狙い撃ちして征服していくことだった。よって、彼の作戦のほとんどにおいて、敵国は都市ごとに各個撃破され、服従されるまで攻撃され続けた。 彼の軍事方針は、東にシリア南部とカナンのアジア地域、南にヌビアに広がる国を造ることであったとされ、実際に征服したことによってエジプトを国際的な超大国に変えた。 エジプトがこれよりも多くの地域を支配していたかどうかは不確かであるが、古いエジプト学者の中には、トトメス3世がエーゲ海の島々にも影響を与えていたと信じているものもいる。 しかし、この説は今日ではもはや支持されていない。メソポタミアがエジプトに服従していたとは考えられなく、さらにアラシア(キプロス)に関しては疑わしいままである。
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