悪逆説・悪行説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:23 UTC 版)
謀反の嫌疑が「虚共実共終にしれず」という状態にもかかわらず、家老衆が自害した後に、秀次の乱行・悪行が再び断罪の材料とされるのは、ほぼすべての軍記物・太閤記の書物で共通する内容である。悪業として列挙されるのは、およそ下記の4点であるが、宣教師の記録にある不徳についても記す。なお、『太閤さま軍記のうち』が死の原因(あるいは天道に背く所業)とするのは、稽古で人を撃ち殺したり辻斬りなどをしたことではなく、比叡山の禁制破りと北野で座頭を殺したことで、天道思想と現代人の道徳観念とにはかなりの落差があることには注意が必要である。一方、宣教師フロイスは、秀吉の方がより残忍で人倫に外れた暴君であると書いており、秀次の悪しき慣習を指摘しつつもそれは残念な欠点と言っているだけで多くの美徳を讃えてもいて、粛清の原因としては別の分析を書いて太閤と関白の不和によって起こったとする。人斬りも5つ挙げられた口実の1つにされたに過ぎない。
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