思想・信条、人柄・性格など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:15 UTC 版)
「西村栄一」の記事における「思想・信条、人柄・性格など」の解説
長男で自衛官だった重剛は“父は社会主義者であったと同時に、民族主義者でもあったと思います。”といい切っているが、西村の考え方は複雑であって○○主義をもっていいあらわされない性格のものではなかった。たしかに、彼は主義の人であったというよりはむしろ機敏に時勢に対処する柔軟な態度の人であったといえる。 西村は生前「上海の国民学校に入っている時に、洗礼を受ける機会があったが、その時は十戒を守ることが出来ないのでやめた。政界は権謀術数の渦巻く世界だから、神の掟は守れない。神様だけは誤魔化したくないので、わざと洗礼を受けずにいるのだ」と述べていた」という。 西村眞悟によると、「小さい頃、父は孤児であったと聞いていたような気がする。そして、幼いながらも、我が父は、苦労した人だなーと思ったものだ。(中略)思えば父は、明治生まれの伝統を濃厚に持っており、家の中では家父長的で自己中心的でなければならないと思い込んでいた。すなわち父は、急に怒り始める、手が出はじめればなかなか一回でとめることができない。静かに食事をしているのに、父が急に怒ってお膳をひっくり返したことが数度あった。要するに、父が家にいるときは、緊張を強いられ気を緩めることができないのだ。後年、選挙区などで、父のことを温厚な優しい方だったと多くの人から言われるようになるが、違和感を覚えること再三である」という。
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