御船の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:11 UTC 版)
黒田参軍は衝背軍を部署し、次の方面への一斉進撃を企図した。 甲佐・御船・吉野 ─ 別働第3旅団 隈庄・鯰村・上島 ─ 別働第1旅団 上記旅団の予備隊 ─ 別働第1、第2旅団の一部 緑川下流・川尻 ─ 別働第2旅団 同上 ─ 別働第4旅団 4月12日、別働第3、第1旅団は一斉に攻撃を開始した。別働第1旅団は宮地を発して緑川を渡り、薩軍を攻撃した。薩軍は敗戦続きに気勢揚がらず、民家に放火して退却した。この時、負傷を押して二本木本営から人力車で駆けつけた永山弥一郎は酒樽に腰掛け、敗走する薩軍兵士を叱咤激励していたが、挽回不能と見て、民家を買い取り、火を放ち、従容として切腹した。かくして御船は衝背軍に占領された。 同12日、別働第2旅団は新川堤で薩軍の猛射に阻まれ、別働第4旅団も進撃を阻止された。翌13日、別働第2旅団と別働第4旅団は連繋しながら川尻を目指して進撃した。別働第4旅団の一部が学科新田を攻撃して薩軍を牽制している間に、主力が緑川を渡り、薩軍と激戦しながら川尻へと進んだ。川尻に向かった別働第4旅団と第2旅団は両面から薩軍を攻撃して退け、遂に川尻を占領した。
※この「御船の戦い」の解説は、「西南戦争」の解説の一部です。
「御船の戦い」を含む「西南戦争」の記事については、「西南戦争」の概要を参照ください。
- 御船の戦いのページへのリンク