後嵯峨源氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:03 UTC 版)
88代後嵯峨天皇の子孫。 文永3年(1266年)、後嵯峨天皇の第二皇子・宗尊親王が第6代鎌倉将軍を退いた後、その長男で7代将軍に就任した惟康王に対し、源姓が賜与されて「源惟康」となった。しかし弘安10年(1287年)、鎌倉幕府が惟康を京へ追放し、代わりに久明親王を将軍に迎えるため、その下準備として幕府の要請により朝廷より惟康に対して親王宣下がなされ、惟康は皇族に復帰した。また宗尊親王の孫にあたる宗治は後醍醐天皇の猶子となって源姓を賜与されている。 後嵯峨源氏 系図 太線は実子。細線は養子(苗字無しは臣下に下った源氏・一部苗字無しは僧)。 〈源氏(後嵯峨源氏)〉 後嵯峨天皇(邦仁親王) ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓ 宗尊親王 久仁親王 恒尊親王 恒仁親王 雅尊親王 貞良親王 ┃ 惟康 ┃ 仁澄
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