征討軍主力の鹿児島連絡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:11 UTC 版)
大口南部の薩軍を退けた川路少将率いる別働第3旅団は6月23日、宮之城に入り川内川の対岸および下流の薩軍を攻撃した。一斉突撃を受けた薩軍は激戦の末、遂に鹿児島街道に向かって退却した。別働第3旅団の部隊は翌24日には催馬楽に至り、次々に薩軍の堡塁を落として、夕方には悉く鹿児島に入り、鹿児島周辺の薩軍を撃退した。こうして征討軍主力と鹿児島上陸軍の連絡がついた。 退却した薩軍は都城に集結していると予測した川村参軍は29日、別働第1旅団を海上から垂水・高須へ、第4旅団を吉田・蒲生へ、別働第3旅団を岡原・比志島経由で蒲生へ進め、都城を両面攻撃することとした。また海軍には重富沖から援護させ、鹿児島には第4旅団の1個大隊を残した。
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