影珠山の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:45 UTC 版)
日本軍主力の反転援護のため南下してきた独立混成第9旅団は、1月6日にその途上(福臨舗付近)で中国軍(第58軍の一部)の襲撃を受けた。この襲撃を撃退した旅団は、中国軍が退却した影珠山への攻撃準備を進め、攻撃部隊には集成大隊(長:山崎茂大尉、200余名)が編成された。このとき、中国軍は影珠山付近に第20軍・第58軍(計5個師)を配置し、影珠山東側の道を北上する第3師団と、影珠山西側の道を北上する第6師団を迎え撃つ態勢を整えていた。 1月8日夜、山崎集成大隊は影珠山の北側から夜襲を敢行した。山崎大隊は9日未明までに僅かな損害で山頂へ突入したが、夜明けと共に中国軍の猛烈な反撃が始まった。日本軍の兵力が少ないことを知った中国軍は四周から近迫し、山崎大隊の損害も増加、弾薬も底をついた。大隊は軍曹1名を報告のために出発させた後、山崎隊長以下全員が玉砕した。影珠山攻撃は旅団独自の判断で、山崎大隊の突入と玉砕を知った阿南軍司令官は大きな衝撃をうけた。
※この「影珠山の戦い」の解説は、「第二次長沙作戦」の解説の一部です。
「影珠山の戦い」を含む「第二次長沙作戦」の記事については、「第二次長沙作戦」の概要を参照ください。
- 影珠山の戦いのページへのリンク