張茂 (百済)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 07:35 UTC 版)
張 茂(ちょう ぼう[1]、朝鮮語: 장무、生没年不詳)は、百済蓋鹵王代に北魏に使臣として派遣された百済官僚[2]。中国系の百済人[3][4][5][1]。官職は司馬[1]。高句麗の圧迫にさらされた百済は中国南朝と緊密な関係を維持する一方、472年にはじめて北朝である北魏と交渉をもち、援軍を要請する。この時に外交使節として張茂は北魏に派遣され、援軍を要請したが、目的を達成することはできなかった[6]。このような百済の重大事案に参加している点、張茂が「龍驤將軍帶方太守司馬」という点を鑑みると、張茂は百済国内で相当の高位であったことが理解できる[6]。
- ^ a b c d 河内春人『倭の五王 – 王位継承と五世紀の東アジア』中央公論新社〈中公新書〉、2018年1月19日、71頁。ISBN 4121024702。
- ^ a b c d e 盧重国 (2005年). “5世紀の韓日関係史-『宋書』倭国伝の検討-” (PDF). 日韓歴史共同研究報告書(第1期) (日韓歴史共同研究): p. 261. オリジナルの2021年11月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ 정재윤『중국계 백제관료에 대한 고찰』高麗大学歴史研究所〈史叢 77〉、2012年9月、22頁。doi:10.16957/sa..77.201209.1。
- ^ “여례(餘禮)”. 韓国民族文化大百科事典 2022年7月18日閲覧。
- ^ 전덕재 (2017年7月). “한국 고대사회 外來人의 존재양태와 사회적 역할” (PDF). 東洋學 第68輯 (檀國大學東洋學硏究院): p. 109. オリジナルの2022年4月23日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “장무(張茂)”. 韓国民族文化大百科事典 2022年6月22日閲覧。
- ^ 李文基『百済内朝制度試論』学習院大学史学会〈学習院史学 41〉、2003年3月20日、21頁。
- ^ a b c d e f 井上直樹『百済の王号・侯号・太守号と将軍号 : 5世紀後半の百済の支配秩序と東アジア』国立歴史民俗博物館〈国立歴史民俗博物館研究報告 211〉、2018年3月30日、130-132頁。
- 1 張茂 (百済)とは
- 2 張茂 (百済)の概要
- 3 考証
- 4 参考文献
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