松平千代子とは? わかりやすく解説

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松平千代子

(弥千代 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/28 04:23 UTC 版)

松平 千代子(まつだいら ちよこ、弘化3年1月16日1846年2月11日[1] - 昭和2年(1927年1月6日)は、江戸時代幕末期から昭和初期の女性。彦根藩主・大老井伊直弼の次女。高松藩主(のち伯爵松平頼聰の正室。幕末の政局により、1863年(文久3年)に頼聰と離縁したが、1872年(明治5年)に復縁した。伯爵松平頼寿の母である。


  1. ^ 『井家粗覧』に弘化3年1月16日とあるが、公式には弘化2年12月15日。弘化3年が丙午のため(この年生まれの女性は気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮めるとの迷信があった)改めたとある。
  2. ^ 井伊家の当主・井伊直憲(弥千代の弟)の正室は熾仁親王の妹・宜子であり、水戸徳川家の当主・徳川昭武の義母(斉昭の正室)は熾仁親王の大叔母・吉子であり、両家に交流があった。なお熾仁親王は、この1872年の1月に水戸徳川家から迎えた最初の妻・貞子妃を亡くしたばかりであった。


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