廃絶主義 (動物の権利)
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動物の権利運動における廃絶主義(はいぜつしゅぎ、英語:Abolitionism, Abolitionist veganism)とは、権利論に基づき、人間によるあらゆる動物利用に反対するものである。廃絶主義は、人であれ人以外の動物であれ、すべての知覚能力を持つ存在が、所有物やモノ(objects)として扱われない基本的権利を共有すると主張することで、あらゆる形態の動物利用を排除することを意図している[1]。廃絶主義者は、動物性製品の生産には動物を所有物や手段として扱うことが必要であり、そしてこうした動物性製品は現代社会において人間の健康に必須ではないと強調する[2]。廃止主義の立場からは、個々人の実践として、動物搾取を経た一切の産物を利用しないことが求められる[3]。
目標を達成するために採用すべき戦略については、廃絶主義者の間でも意見が分かれている。法学教授ゲイリー・フランシオンのような一部の廃絶主義者は、創造的で非暴力的な教育を通して、(健康と環境へのメリットも指摘しながら)ヴィーガニズムの利点についての意識を高め、ヴィーガニズムが道徳的義務であることを人々に伝えるべきだと主張する[4]。一方、トム・リーガンのような他の廃絶主義者は、廃絶主義者は社会における動物の搾取を止めるべく努め、環境や健康への懸念を理由にすることなく、政治的アドボカシー活動を通じてこの目標のために闘うべきだと考えている[5]。スティーブン・ベストやデビッド・ナイバートといった廃絶主義者は、同盟政治と変化のための戦闘的な直接行動(市民的不服従、集団対決などを含む)を受け入れ、資本主義を超越することが動物の搾取を終わらせるために不可欠であると主張している[6][7]。
廃絶主義の目的は、動物がもはや所有・利用される物として扱われなくなるような、道徳的および法的なパラダイムシフトを実現することである。アメリカの哲学者トム・リーガンは、権利論が要求するのは「大きな檻」ではなく「空の檻(Empty Cages)」であると述べた[3][8]。
廃絶主義は、動物をより人道的に利用しようとする運動や、特定の形態のみの動物利用を廃止しようとする運動に反対する立場である。動物福祉は漸進的な改革を求めるものであり、動物保護主義は廃絶主義の第一原理と漸進的アプローチを組み合わせようとするが、一部の廃絶主義者からは別の形の福祉主義、あるいは「新福祉主義(New Welfarism)」と見なされている[9]。新福祉主義は、動物利用の存続を前提する旧来の動物福祉とは定義上区別される[10]ものの、動物を資源として見なしたうえでその「賢明な利用」を目指すのに対し、動物の権利運動は、動物を資源と見なすこと自体が誤りであり、あらゆる動物利用の廃止を目指すべきであるとする[11]。
概念
この語は、歴史用語の「廃絶主義」(abolitionism, 奴隷制や、人間による他の人間の所有を終わらせるための社会運動)に関連している[12]。動物福祉改革の評価方法に基づき、廃絶主義者は急進派と現実派に分類される。前者は、動物福祉の改善策は道徳的進歩とみなすには疑わしいものでしかないと主張するのに対し、後者は、そうした改革によって認められる動物の飼育環境や扱いが依然として不当であっても、それらの改革を道徳的な改善と見なす立場をとる[13]。
ゲイリー・フランシオン(ラトガース大学ニューアーク校法科大学院法学・哲学教授)は、廃絶主義的立場から、動物の倫理的扱いを求める人々の会(PETA)のような福祉問題を追求する自称動物権利団体は、一般市民が動物を利用することに対して安心感を抱く危険性があると主張する。フランシオンはこうした団体を「新福祉主義者」と呼び、彼らが追求する改革は動物利用の終焉を目的としてはいるものの、動物利用廃絶に関心を持たない伝統的福祉主義者が容認する改革と区別がつかないと主張している。フランシオンは、福祉改革運動は動物の財産的地位を固定化し、「動物は単に扱いを良くすればよい」という見解を正当化すると主張する。代わりに、動物は利用・消費できるという世間の認識こそが問われるべきだと述べる。フランシオンの立場は、倫理的ヴィーガニズムの推進によって、こうした認識の変革を実現すべきだというものである[14]。他方、社会における公開討論の場を設けることで認識の変革を実現すべきだと考える者もいる[15] 。
テキサス大学エルパソ校の哲学者スティーブン・ベストは、フランシオンが動物解放にかかわる地下運動や、組織(動物解放戦線等)による過激な直接行動を非難したことを批判してきた。ベストは、これらの運動を奴隷制廃止のための「19世紀の奴隷制度廃止運動」に比肩するものとして評価している。ベストはまた、フランシオンが企業、国家、マスメディアといった強力な組織にではなく、個々の消費者に責任を押し付け、「貧困、階級、社会的な制約によって課せられた制約」を無視していることも批判している。ベストは、フランシオンが「資本主義を免罪」し、「抑圧の構造理論を明確に示していない」と述べている。ベストは、「漠然とした、エリート主義的で、社会に開かれていない(asocial)『ヴィ―ガン教育』アプローチ」は、「直接行動、大衆対決(mass confrontation)、市民的不服従、同盟政治、そして急進的な変化のための闘争」に取って代わるものではないと主張している[6]。
ウィッテンバーグ大学の社会学者デビッド・ナイバートは、あらゆる動物利用のない世界(vegan world)をグローバル資本主義下で創出しようとする試みは非現実的だと主張する。その根拠として「チンギス・ハーンのような企業に投資する21世紀のエリート層が利益を得るために、毎年数千万の動物が拷問され残酷に殺害されている」ことを挙げている。真に意味のある変革は、資本主義を超越することによってのみ実現するとナイバートは主張する[7]。ナイバートは、現代における資本主義の定着と人間文明による動物の継続的な搾取が、彼が動物産業複合体と呼ぶものの拡大と密接に結びついていると記している。集中家畜飼養施設(CAFO)の数とそこに収容される動物の数は劇的に増加し、同時に動物性製品を消費する人口も増加を続けている[16][17]。ナイバートは修辞的に問いかける。10億人以上が1日1ドル未満で生活している状況で、この新たなヴィーガン世界(vegan world, あらゆる動物利用のない世界)のためにどうやって消費者基盤を築けるというのか?ナイバートは、ポスト資本主義だけでは動物搾取を自動的に終わらせたり、より公正な世界をもたらしたりしないことを認めつつも、ポスト資本主義がそうした変化のための「必要不可欠な前提条件」であると述べている[7]。
新福祉主義者は、廃絶主義と「福祉主義」の間には、論理的または実際的な矛盾はないと主張する[18][19] 。福祉主義者は、動物利用廃止に向けて取り組むことは可能であるが、段階的に進め、短期的にも長期的にも大多数の人々が実利的に納得できることを現実的に考慮しつつ、最も緊急に緩和すべき動物の苦しみを軽減していくことによって取り組むべきであると考えている。たとえば動物の倫理的扱いを求める人々の会は、地域における動物の扱いの改善を促進するだけでなく、ベジタリアニズムも推進している。感じる力(sentience)を有する人間以外の生き物の法的地位を変えること[20][21]が、所有や虐待を廃止するための第一歩であると考える人もいるが、消費者が食用動物の搾取を削減または根絶しない限り、所有や虐待の廃止は成功しないと主張する人もいる[要出典]。
動物に人格を認めた事例
1992年、スイスは憲法を改正し、動物を「物」ではなく「存在」として認めた[22] 。スイスでは動物の尊厳も保護されている[23]。
ニュージーランドは1999年に、5種の大型類人猿に基本的な権利を付与した。現在、これらの動物を研究、試験、または教育目的で使用することは禁止されている[24]。
ドイツは2002年の憲法改正で動物福祉を追加し、欧州連合加盟国で初めて動物福祉を規定した[22][25][26]。
2007年、スペインの自治州であるバレアレス諸島の議会は、すべての類人猿に法的権利を付与する世界初の法律を可決した[27]。
インドは2013年、イルカをヒト以外の「人格を有した存在(person)」として正式に認定した[28]。
フランスは2014年、動物の法的地位を、動産から「知覚する存在(sentient beings)」へと改正した[20] 。
2015年、カナダのケベック州は動物福祉安全法(Animal Welfare and Safety Act)を採択し、動物に「生物学的ニーズを有した、知覚する存在(sentient beings with biological needs)」という法的地位を与えた[29][30]。
関連項目
脚注
注釈
出典
- ^ “The Six Principles of the Abolitionist Approach to Animal Rights”. Animal Rights: The Abolitionist Approach. 2025年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月8日閲覧。
- ^ “Why Abolitionist Veganism?”. HowDoIGoVegan.com. 2025年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月8日閲覧。
- ^ a b 井上 2022, p. 93.
- ^ Gary L. Francione. “Thought of the Day: Abolitionist Veganism and Arguments About Health”. 2025年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月8日閲覧。
- ^ “Freedom to flourish for all animals”. For the abolition of veganism, for the abolition of animal slavery. 2025年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月8日閲覧。
- ^ a b Best, Steven (2014). “The New Abolitionism: Capitalism, Slavery, and Animal Liberation”. The Politics of Total Liberation: Revolution for the 21st Century. Palgrave Macmillan. pp. 21–49. doi:10.1057/9781137440723_2. ISBN 978-1137471116
- ^ a b c Nibert, David, ed (2017). Animal Oppression and Capitalism. Praeger Publishing. p. 306. ISBN 978-1440850738
- ^ “The Torch of Reason, The Sword of Justice”. animalsvoice.com. 2011年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月24日閲覧。
- ^ Gary L. Francione; Robert Garner (2010). The Animal Rights Debate: Abolition or Regulation?. Columbia University Press. ISBN 978-0231149556
- ^ 井上 2022, p. 100.
- ^ 井上 2022, p. 99.
- ^ “When Vegans Won't Compromise”. New York Times (2015年8月16日). 2016年4月17日閲覧。
- ^ Stepanenko, Walter Scott (2018). “Two Forms of Abolitionism and the Political Rights of Animals: A Case Study”. Journal of Animal Ethics (University of Illinois Press) 8 (1): 26–38. doi:10.5406/janimalethics.8.1.0026. JSTOR 10.5406/janimalethics.8.1.0026 2022年8月21日閲覧。.
- ^ Francione 1996, p. 110-146.
- ^ “For the abolition of veganism, for the abolition of slavery. About the necessary paradigm shift needed in the animal rights movement.”. 2019年2月3日閲覧。
- ^ Nibert, David (2011). “Origins and Consequences of the Animal Industrial Complex”. In Steven Best; Richard Kahn; Anthony J. Nocella II et al.. The Global Industrial Complex: Systems of Domination. Rowman & Littlefield. pp. 208–209. ISBN 978-0-7391-3698-0
- ^ Nibert, David (2013). Animal Oppression and Human Violence: Domesecration, Capitalism, and Global Conflict. Columbia University Press. pp. 189, 233–240, 260–261. ISBN 978-0-231-15189-4. オリジナルの2022-11-04時点におけるアーカイブ。 2022年12月24日閲覧。
- ^ “Farm-animal welfare, legislation, and trade”. Law and contemporary problems 325-358. 2014年12月14日閲覧。
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- ^ “Swiss constitution” (1999年4月18日). 2019年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月23日閲覧。
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- ^ Kate M. Nattrass (2004). “"…und die tiere" Constitutional Protection for Germany's Animals”. Animal Law Review 10 (1): 283-312.
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- ^ Thomas Rose. “Going ape over human rights”. CBC News. 2008年6月26日閲覧。
- ^ “Dolphins gain unprecedented protection in India”. 2025年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月8日閲覧。
- ^ “Domestic animal legislation in Quebec”. Mission Mayday. 2025年11月8日閲覧。
- ^ “b-3.1 - Animal Welfare and Safety Act”. Gouvernement du Québec. 2025年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月8日閲覧。
参考文献
- Gary L. Francione (1996). Rain Without Thunder: The Ideology of the Animal Rights Movement. Temple University Press
- 井上太一『動物倫理の最前線 批判的動物研究とは何か』人文書院、2022年。 ISBN 978-4-409-03115-5。
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