廃止による影響とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 09:31 UTC 版)
「イェニチェリ」の記事における「廃止による影響とその後」の解説
イェニチェリの廃止は、西洋化に反対する勢力が完全に払拭されたと見ることは難しいが、長らく漸進的な改革に甘んじつつ皇帝の力を蓄えてきたマフムト2世が、改革を強硬に推進する専制君主へと進む象徴的な事件となった。 一方、イェニチェリによって支配されていたセルビア人居住地域では、オスマン帝国からの独立を志すミロシュ・オブレノヴィッチ1世のもとでセルビア公国(1817年 - 1882年)が誕生した。これは露土戦争後にはセルビア王国(1882年 - 1918年)としてトルコから独立した。 1912年、バルカン諸国にバルカン同盟が結成されたものの、オスマン帝国が衰退してオーストリア=ハンガリー帝国が強盛となったことからロシア帝国からの後押しも加わりバルカン半島が混乱すると、セルビア人居住地域で第一次世界大戦を誘発した。
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