広重の甲州旅行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 15:15 UTC 版)
「日々の記」に拠れば、広重は天保12年に甲府緑町一丁目の町人から依頼を受けると、同年4月2日には江戸八代洲(八重洲)河岸の自宅を出立し、甲州街道を三泊四日の旅程で旅し、4月5日には甲府城下へ到着している。城下では甲府緑町一丁目の伊勢屋栄八宅に逗留し、広重は翌6日に「幕御世話人衆中」と対面、8日には江戸から画材や画稿を指すと考えられている「荷物」が到着している。幕絵制作に取りかかるのは18日からで、それまでは芝居見物や狂歌会、御幸祭見物などを行っており、屏風絵や襖絵、しょうき図など肉筆画、「さの衣」写本(「狭衣物語」の絵本か)などを依頼され作品製作を行っている。14日には、幕絵手付金として5両を受け取っている。 幕絵制作については4月20日の段階で下書きの完了までが記されているがそこで中断しており、以降は「心おほへ」において同年11月13日から幕絵製作の様子が記されている。11月19日には筆を納めて別れの宴が開かれて、翌日には甲府を立ち22日に府中に至っている。
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