幼少期・青年期と戦いの日々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 10:04 UTC 版)
「マハーダージー・シンディア」の記事における「幼少期・青年期と戦いの日々」の解説
マハーダージーは10歳のころから父や兄らとともに戦場に出ていたことで知られており、徹底した軍事教育を受けたといわれる。 1742年、マラーター王国の領土にニザーム王国が侵入してきたが、マハーダージーは兄ジョーティバー・ラーオとともにこれに1,500人の軍で立ち向かい、サダーシヴ・ラーオ・バーウの加勢も得てこれを倒している。 1745年から1761年にかけては、マハーダージーはラージャスターン、マールワー、ブンデールカンドを転戦し、その総戦数は50回にも及んだといわれている。そのなかでも、ラージプートに対してマラーターの宗主権を認めさせるためのものが多く、マールワーのホールカル家ともたびたび共闘した。 また、1755年にムガル帝国領のマトゥラーを占領した際、マハーダージーはさまざまな古いヒンドゥー寺院を改築し、サンスクリット語学習のための教育センターも設立した。 1758年1月には、マハーダージーは北インドのグワーリヤルに自身の本拠地を置いている。
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