平井信正とは? わかりやすく解説

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平井信正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 02:41 UTC 版)

平井 信正(ひらい のぶまさ、明応元年(1492年)?[1] - 天正13年2月28日1585年3月29日))は、京都出身の公家(地下家)で三宝院門跡坊官・宮内卿武将。戒名、梅応院説日円居士。加治田平井家の始祖[2][3]

生涯

平井信正は京都の出身で平井宮内とも称し、斎藤道三と関係が深く、道三とは御所に仕えていた高官であった時から縁故の仲であり、末子の斎藤利治とも繋がり、後に加治田衆の軍術(親衛隊)、加治田文化の発展の礎となった[4][5]

「一世信正 弱冠より後柏原院後奈良院の両朝に仕え奉り宮内卿・・・(中略)、信正軍術・和歌・連歌・蹴鞠に長ず。故に治隆迎えて清水口に居らしめ、客として之を重んず。住みて此れに年あり。天正十三乙酉二月二十八日春秋九十四才・・・、川原田に葬す。梅応院説日円居士。[6]」。

その後、京都での戦乱を避け縁故により美濃国の斎藤道三の所へ寄寓した。しかし道三が子の義龍と不仲のため度々諫めたが和議とならなかったので、方県郡栗野郷に退いた。

天文16年(1547年)、道三は守護の土岐頼芸を攻めたが、信正は頼芸方について戦った[7]

弘治元年(1555年)の道三討伐では、道三の非道を憎んで反対の立場をとり、斎藤義龍方に加わった[2]

当時、加治田城主の佐藤紀伊守は、道三の末子の斎藤利治(新五)を養って娘を嫁していた。

佐藤紀伊守は、加治田城主を斎藤利治(新五)に譲り伊深村に隠居した。

斎藤利治(新五)は、信正が軍術、更には和歌連歌蹴鞠に長けていたので、人物を惜んで加治田城近くの白華山清水寺口に賓客として迎え入れ、利治と加治田衆は軍術から和歌連歌蹴鞠等の京文化を信正から学んだことで教養や知識を高めた。

これによって加治田文化が形成され大いに栄えた。[8]

また加治田城城下町は旧飛騨街道の宿場町となり、公家商人による人々の往来により栄える事となった。[9]

天正13年(1585年)2月28日、加治田村において94歳で死去した[2]

加治田白華山清水寺内に平井宮内石碑墓がある[10]

子孫

子の平井綱正は武士となって織田信長、後に羽柴秀吉に仕えた。小牧・長久手の戦いでは池田恒興に属し、恒興に猿投神社に戦勝祈願するように命じられ急行したが、途中現在の瀬戸市菱野で武具を狙う村人に襲撃され殺害された。

以後、菱野では悪病の流行に天災が重なり、夢枕に武士が立って猿投神社に連れて行くよう頼むなどの異変が起こったため、庄屋たちは霊を弔うため京都に行って武士の人形を作り、それを馬に乗せ村人が行列して猿投神社に祈願すると、異変は収まった。綱正の通称は梶田甚五郎といったため、村人は梶田神社を建立して霊を祀り、猿投神社まで人形(でく)の行列をする行事を毎年行うようになったのが、「菱野でく」(菱野おでく祭り)だという[11]

孫(三代目)の平井治房は元服の際、斎藤利治(治隆)の治の字を賜ったと平井家の家譜にあるという[12]

江戸時代の中期に、京都で和歌や茶道を学んだ平井貞誠は加治田平井氏の十一世である。

参考資料

  • 『富加町史 下巻 (通史編)』 第四章 中世 第三節  斎藤三代(道三系)と当地域との関連 1 平井宮内 p181~p182 富加町史編集委員会 1980年

資料

  • 美濃加治田平井家文藝資料分類目録[13]

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ 平井家所蔵の系譜によれば、天正13年2月28日に死去したとき、94歳だったという(「平井宮内」『富加町史』 下巻 通史編、岐阜県加茂郡富加町、1980年、182頁。 )。
  2. ^ a b c 「平井宮内」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、181 - 182頁。 
  3. ^ 清和天皇の子孫で源姓を賜った源氏の氏族
  4. ^ 富加町通史編P181-182
  5. ^ 和歌集 文之字屋古文書
  6. ^ 原文は漢文記されている
  7. ^ 美濃明細記
  8. ^ 「平井家歴史文書」とみかの文化財 38-39頁
  9. ^ 「郷土資料館文講座-加治田文藝の魅力」
  10. ^ 「平井宮内の墓の写真が掲載されている。」富加町史通史編 182頁
  11. ^ 「長久手戦と加治田平井氏」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、243 - 244頁。 
  12. ^ 「斎藤新五加治田城主となる」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、229頁。 
  13. ^ 上野洋三氏(九州大学大学院教授)、神作研一氏(金城学院大学教授)が執筆・編集」



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