帝釈村とは? わかりやすく解説

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帝釈村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 03:41 UTC 版)

たいしゃくそん
帝釈村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
東城町・小奴可村八幡村田森村久代村帝釈村神石郡新坂村(一部)→ 東城町
現在の自治体 庄原市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
比婆郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,209
国勢調査、1950年)
隣接自治体 西城町、八幡村、東城町、久代村、神石郡新坂村・神石町甲奴郡総領町、庄原市
帝釈村役場
所在地 広島県比婆郡帝釈村
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帝釈村(たいしゃくそん[1][2])は、広島県比婆郡にあった。現在の庄原市の一部にあたる。

地理

高梁川水系・帝釈川の源流域と上流域に位置していた[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、奴可郡未渡村、始終村、山中村、宇山村が合併して村制施行し、帝釈村が発足[1][2]。旧村名を継承した未渡、始終、山中、宇山の4大字を編成[2]
  • 1898年(明治31年)10月1日、郡の統合により比婆郡に所属[1][2]
  • 1924年(大正13年)帝釈川ダム完成[2]
  • 1936年(昭和11年)帝釈峡観光協会設立[2]
  • 1955年(昭和30年)4月1日、比婆郡東城町・小奴可村・八幡村・田森村・久代村・帝釈村、神石郡新坂村(一部)と合併し、東城町が存続して廃止された[1][2]

地名の由来

大字未渡の真言宗永明寺の本尊帝釈天にちなみ古くから帝釈と称していたことから[2]

産業

  • 農業、葉煙草、養蚕、木炭[2]

交通

県道

  • 始終森線[2]
  • 新市七曲西城線[2]
  • 庄原東城線[2]

乗合バス

  • 1933年(昭和8年)頃、庄原~本村~帝釈~東城間に乗合バス運行[2]

教育

  • 1947年(昭和22年)帝釈中学校開校[2]

名所・旧跡

脚注

  1. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』434頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『角川日本地名大辞典 34 広島県』482頁。

参考文献

関連項目




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