帆船航海記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/16 09:04 UTC 版)
「リチャード・ヘンリー・デイナ」の記事における「帆船航海記」の解説
大学退学後、デイナは平水夫となり、ホーン岬廻りでアルタ・カリフォルニアを目指した。当初はヨーロッパでグランドツアーをする意向を持っていたが、視力障害により断念した。デイナは1834年8月にブリッグ型帆船の貨物船ピルグリム号(Pilgrim)でボストンを出航した。カリフォルニアに到着した後は、モントレー、サンペドロ (San Pedro)、サンファンカピストラーノ(San Juan Capistrano)、サンディエゴ、サンタバーバラ、サンタクララなどの入植地やサンフランシスコを訪れた。デイナはカリフォルニアで2年を過ごした後、インド貿易船アラート号の甲板員としてマサチューセッツに帰郷した。デイナは再びホーン岬廻りで航海し、1836年9月にボストンに到着した。 2年の旅路の間、デイナは日記をつけていた。デイナは帰郷後、旅行中の体験を基に回想録『帆船航海記』を執筆し、1840年に発表した。この本の中でデイナは、水夫の重労働や体罰の様子を描き、このような待遇は改善されなければならないと述べた。この記録は、当時の貨物船の内情を克明に示す貴重な資料として扱われている。また帆船の運用に関する専門書としても評価され、イギリス海軍での教育にも使用された。
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