巨石下甕棺墓の考察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 04:54 UTC 版)
副葬品に武器類が多いことから、この墓は「男王墓」と推定されている。時代的には「前漢鏡」や「青銅剣」などの編年から割り出して糸島市三雲の三雲南小路遺跡と同年代の王墓であろう、と云われている。また、近傍には「青銅器の鋳造所」の遺構などが多数発見されていることと、地名の「那珂川」「那の津」などからの推論と、伊都国は糸島市三雲が中心地であろう、ということから導いて、この須玖岡本遺跡群が奴国の中心地であろうと言われている。 この「巨石下甕棺墓」の主は「奴国王」であろうと推論されるが、志賀島出土の金印(漢委奴国王印)の奴国王かどうかは不明である。通説では、金印を授けられた奴国王より以前の王であろう、と云われている。
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