巨石下甕棺墓の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 04:54 UTC 版)
明治32年(1899年)、土地所有者の吉村源次郎は家屋の新築のために脇にある「長3.60メートル、幅2.0メートル、厚30.3センチメートルの横石」とその側方に立つ、「高1.20メートル、幅1.50メートル、厚40センチメートルの立石」の二つの巨石が邪魔になるので動かして、下を掘ったところ、「合口甕棺」があり、その内外から種々の遺物が出土した。その場所から約14メートル北東に煉瓦囲いの地下室を作って、出土遺物と掘り上げた土塊までもこの中に収めた。この地下室の場所を「D地点」と呼んでいる。 最初にこの「巨石下甕棺墓」に注目したのは明治末期の八木奘三郎である。中山平次郎は大正初年以降、この地下室から鏡片などを採取、発表し、昭和4年の京大の島田真彦の調査で幕を閉じた。
※この「巨石下甕棺墓の概要」の解説は、「須玖岡本遺跡」の解説の一部です。
「巨石下甕棺墓の概要」を含む「須玖岡本遺跡」の記事については、「須玖岡本遺跡」の概要を参照ください。
- 巨石下甕棺墓の概要のページへのリンク