川西清兵衛とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 川西清兵衛の意味・解説 

川西清兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 13:10 UTC 版)

川西清兵衛

川西 清兵衛(かわにし せいべえ、旧字体川西淸兵衞1865年9月7日慶応元年7月18日) - 1947年昭和22年)11月19日)は、日本の実業家阪神財閥系譜川西財閥の創業者。旧姓・筑紫、旧名・音松[1]

人物

1865年(慶応元年)大阪で筑紫家に生まれ、1890年明治23年)先代清兵衛の養子となり、1898年(明治31年)11月、家督を相続し襲名した[1]

1896年(明治29年)神戸の実業家27人を発起人として日本毛織を創立。1899年(明治32年)加古川沿岸に工場を建設して毛布製造をはじめる。戦時景気で軍用毛布等の売上が伸び巨利を得た。1907年(明治40年)兵庫電気軌道山陽電気鉄道の前身)を創業し、神戸明石姫路を結ぶ電気鉄道を開業。1913年大正2年)日本毛糸紡績会社を設立、1918年(大正7年)日本毛織と合併。昭和毛糸紡績、共立モスリン、山陽皮革、神戸生糸など多数の関連企業を設立し、川西財閥を形成した。

一方で航空関連事業にも魅せられ、1917年(大正6年)、中島知久平が興した『飛行機研究所』(中島飛行機の前身)に出資。しかし金銭上のトラブルから出資を引き上げ、1920年(大正9年)に自前メーカーを目指して川西機械製作所を創業した。また、1923年(大正12年)国内で3番目の商業航空事業会社である「日本航空株式会社」[2](JALとは無関係)を設立する。川西機械飛行機部は後に川西航空機(現・新明和工業)として独立した。

日本羊毛工業会会長、神戸商工会議所会頭をつとめた。

栄典

親族

脚注

  1. ^ a b 『大日本人物史』か10-11頁。
  2. ^ 日本航空株式会社は1923年(大正12年)6月、川西清兵衛が設立した国内で3番目の商業航空事業会社。大阪の木津川河口を拠点として水上機で大阪-別府間の定期郵便輸送などを行った。1929年(昭和4年)3月31日、日本航空輸送株式会社に吸収合併された。
  3. ^ 『官報』号外「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。

参考文献

  • 『大日本人物史 : 銀婚記念 1925年』大日本人物史編纂社、1925年。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「川西清兵衛」の関連用語

川西清兵衛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



川西清兵衛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの川西清兵衛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS