嵐山カントリークラブとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 嵐山カントリークラブの意味・解説 

嵐山カントリークラブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/02 14:15 UTC 版)

嵐山カントリークラブ
Ranzan Country Club
嵐山カントリークラブの空中写真。
2009年4月28日撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本
埼玉県比企郡嵐山町鎌形1146番地
概要
開業 1962年昭和37年)10月21日
運営 メンバーシップコース
設計 小寺 酉二
運営者 株式会社嵐山カントリー倶楽部
トーナメント 1984年 第49回 日本オープンゴルフ選手権競技大会
コース

OUTコース INコース
HOLE PAR YARD HOLE PAR YARD
1 4 386 1 4 354
2 3 155 2 3 163
3 4 376 3 4 423
4 4 430 4 4 422
5 4 392 5 5 528
6 5 505 6 4 412
7 4 375 7 3 166
8 3 190 8 4 408
9 5 509 9 5 570
36 3318 36 3446

その他
公式サイト 嵐山カントリークラブ
テンプレートを表示

嵐山カントリークラブ(らんざんカントリークラブ)は、埼玉県比企郡嵐山町に所在するゴルフ場である。

概要

東京都江東区深川の湾岸埋立地に、1952年昭和27年)に開場した「東雲ゴルフ場」(設計・井上誠一)は、銀座大手町から車で至近距離ということで人気があった[1]。だが、東京都港湾局所有の借地であったため、その代替のゴルフ場を計画することになった[1]

移転先が検討され、理事長の元東京都長官松井春生は、長野県北佐久郡御代田町に計画、後に「大浅間ゴルフクラブ」(設計・松井春生)を、1963年(昭和38年)に開場した[1]。常務理事・天野健雄は、難航したが現在地の菅谷村(当時)鎌形と隣接の共同山に決定した[1]1961年(昭和36年)9月、初代理事長には天野が就任した[1]。菅谷村鎌形は、秩父山地の麓で標高50 - 70メートルの台地で、都幾川の上流には京都嵐山に似た渓流があることから「武蔵嵐山」と名付けられていた[1]。命名者は本多静六といわれ、「嵐山カントリークラブ」も第1回の募集時は「武蔵嵐山カントリークラブ」と称していた[1]

コース設計は小寺酉二に依頼、1960年(昭和35年)11月23日、コースの工事が着工された。小寺の設計方針は、徹底した1グリーン主義で、ひとつのグリーンに高麗芝ベント芝を張り分けたコンビネーショングリーンの採用で話題になっていた[1]。だが、嵐山カントリークラブでは、経営陣は、2グリーンを主張して対立したが、小寺は2グリーンを承諾した[1]

1961年(昭和36年)12月3日、コースは完成し、18ホールは仮開場された[1]。正式開場されなかったのは、ヤーデージ不足の修正、グリーンの改造などに費やすること約1年間、翌1962年(昭和37年)10月21日、全ての工事が完成し、18ホールのゴルフ場が開場された[1]。コースからは、秩父連山を見渡せるロケーションの恵まれた場所にある林間コースである[2][3]

小寺は、兵庫県生にまれ、米国プリンストン大学留学中に赤星六郎からゴルフの指導を受け、アマチュア競技大会で活躍した。戦後、ゴルフ界の国際化に貢献し、コース設計家として才能を発揮し多くのコース設計に携わった[1][3]

所在地

〒355-0225 埼玉県比企郡嵐山町鎌形1146番地

コース情報

  • 開場日 - 1962年10月21日
  • 設計者 - 小寺 酉二
  • 面積 - 825,000m2(約24.9万坪)
  • コースタイプ - 林間コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,442ヤード、コースレート72.4
  • グリーン - 2グリーン、ベント、ニューベント
  • フェアウエイ - コーライ
  • ラフ - ノシバ
  • プレースタイル - 乗用カート(5人乗り)、キャディ付き
  • 練習場 - 24打席 200ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日[4][5]

クラブ情報

ギャラリー

交通アクセス

鉄道

道路

メジャー選手権

脚注

関連文献

  • 「嵐山カントリークラブ 天野太郎研究室」『建築文化』第17巻5号(通巻187号)彰国社、1962年5月、[要ページ番号]
  •  玉川力「嵐山カントリークラブ」『週刊ダイヤモンド』第59巻28号(1971年7月3日号)ダイヤモンド社、1971年7月、[要ページ番号]
  • 「嵐山カントリークラブ」『嵐山の二十年』、嵐山町、1983年、[要ページ番号]
  • 30年史編纂委員会(編)『紺碧の空に打つ 嵐山カントリークラブ30年の歩み』ダイヤモンド社、1993年10月
  • 「嵐山カントリークラブ」『月刊ゴルフマネジメント』1999年8月20日号(通巻180号)、一季出版、1999年8月、[要ページ番号]
  • 「嵐山カントリークラブ(埼玉県)」『ゴルフ場ガイド 東版 2006-2007』ゴルフダイジェスト社、2006年5月、[要ページ番号]
  • 井上勝純「ゴルフ倶楽部を考える(第252回)嵐山カントリークラブの誕生」『月刊ゴルフマネジメント』28号 (通巻281号)、一季出版、2007年4月、[要ページ番号]
  • 「嵐山カントリークラブ 埼玉県比企郡嵐山町 設計」天野太郎研究室建築思潮研究所(編)『住宅建築現代の要求に応えながら、魅力を再現する』、 建築資料研究社、2017年2月、[要ページ番号]

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  嵐山カントリークラブのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「嵐山カントリークラブ」の関連用語

嵐山カントリークラブのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



嵐山カントリークラブのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの嵐山カントリークラブ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS