岩手県前沢・生家佐々木家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 06:41 UTC 版)
江戸期に仙台領前沢城城主三沢家の家臣であった砲術師・佐々木篤太郎好謙と母ナヲの次男として、明治維新後の明治12年(1879)に生まれる。佐々木家は江戸期は武家居住域である下小路に屋敷を構えていたが、明治維新後、商家町である新町に転居している。 佐々木家は明治期、県内でも有力な米穀商であった。鄰より27歳年上の兄の敬太郎(学者・教育者)に続き鄰も前沢を離れ、敬太郎、鄰の姪ヨシの婿・千代治が佐々木家の家業を継いだ。 昭和15年(1940)、前沢上野原に鄰が篆額した千代治の頌徳碑がある。千代治は大正後期から昭和初期にかけての十数年にわたり、私財を投じて大部分が荒れ地であった前沢上野原に堤数か所他を築造し、上野原開拓父と呼ばれている。
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