岡芳包とは? わかりやすく解説

岡芳包

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/16 21:37 UTC 版)

岡 芳包(おか よしかね、1915年大正4年〉1月12日[1] - 1991年平成3年〉9月1日)は、日本医学者生理学者

大阪府大阪市出身。大阪府立市岡中学校浪速高等学校大阪帝国大学医学部卒業[2]

経歴

1943年に大阪帝国大学(現大阪大学)講師、1945年に同大学助教授に就任。1945年7月、大阪大学医学博士。論文の題は「生体肝組織における酸化還元電位的場に関する研究」[3]。 その後、1948年7月に新設の徳島医科大学(現徳島大学)初代教授に就任。1951年に新制大学の発足に伴い徳島大学教授となり、1967年に同大学医学部長に就任。

1975年より日本学術会議10・11期会員に選出、国際学術交流委員会会員・生理科学研究連絡委員会等を歴任。1979年に徳島大学学長に就任[4]

1987年、春の叙勲で勲二等旭日重光章を受章。

脚注

  1. ^ 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.135
  2. ^ 『岡芳包出身県別 現代人物事典 西日本版』p841 サン・データ・システム 1980年
  3. ^ 博士論文書誌データベース
  4. ^ 歴代学長”. 徳島大学. 2010年8月15日閲覧。

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