岡村誠之 (陸軍軍人)とは? わかりやすく解説

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岡村誠之 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 03:20 UTC 版)

岡村 誠之
生誕 1904年11月11日
日本 和歌山県
死没 (1974-06-03) 1974年6月3日(69歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1926 - 1945
最終階級 陸軍大佐
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岡村 誠之(おかむら まさゆき、1904年明治37年)11月11日 - 1974年昭和49年)6月3日)は、日本陸軍軍人

歩兵第149連隊長・駐蒙軍高級参謀南方軍作戦主任参謀等を歴任し、階級は陸軍大佐に至る。士官候補生第38期歩兵科で第28軍高級参謀の岡村愛一陸軍大佐(陸士36期工兵科)は兄。長男に警視庁副総監・内閣広報官を務めた岡村健、次男に東芝会長・日本商工会議所会頭を務めた岡村正がいる。

経歴

和歌山に生まれ、粉河中学校大阪陸軍地方幼年学校陸軍士官学校予科を経て陸軍士官学校に進み、大正15年7月16日に士官候補生第38期で卒業する。同年10月25日歩兵少尉に任官され、歩兵第37連隊附を命ぜられる。昭和4年10月に歩兵中尉に進級し、昭和7年8月から熊本陸軍教導学校附に移る。昭和8年12月に陸軍大学校に入校、昭和9年8月の歩兵大尉進級を経て、昭和11年11月に陸軍大学校第48期優等で卒業。卒業と同時に歩兵第37連隊中隊長を命ぜられ、昭和12年11月陸軍兵器本廠附兼陸軍省人事局課員を命ぜられ、補任課に属す。

山下・パーシバル両司令官会見。
日本軍側:前列左から
山下奉文中将杉田一次中佐馬奈木敬信大佐藤原岩市少佐岡村誠之中佐。後列左から三番目、山津兵武之輔大佐

昭和14年3月に歩兵少佐に進級。昭和15年4月25日参謀本部員に転じ、大本営参謀を兼ね対南方政策を担当する。昭和16年8月中佐(昭和15年に兵科撤廃)に進み、昭和17年4月陸軍大学校教官に補される。昭和17年5月2日南方軍作戦主任参謀に就き、昭和17年6月10日陸軍大学校附に移る。昭和17年11月1日から再び陸軍大学校教官を務め、昭和19年6月26日駐蒙軍高級参謀に就任。同年8月1日大佐に進級し、昭和20年4月6日歩兵第149連隊長に就任、この職で終戦を迎える。昭和21年4月に復員




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