山丹人とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 22:48 UTC 版)
山丹(さんたん)の語は、当初、アジア大陸北部から樺太に来航する人びとと彼らが居住する地域(具体的には黒竜江下流域)を指していた。語源は、ニヴフ語のヤントという語にあるといわれる。それがアイヌ語のシャンタ、ないしサンタより日本に伝わって山丹(山靼、山旦)と表記されるようになったという。この語が日本の史料に登場するのは18世紀であり、18世紀後半に普及したが、それ以前はこの地方は「東韃」と呼称されていた。文化6年(1809年)の間宮林蔵の調査により、カザマーの村落からジャレーの村落にいたる地域に居住していることが判明した。現在のウリチ(ウルチ、もしくはオルチャ)はその末裔と考えられる。なお「山丹交易」という用語は、1928年(昭和3年)日本における朝鮮史研究の開拓者である末松保和により初めて使用された。ちなみに、山丹人が住む地域は山丹国とも呼ばれていた。
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