小野寺 有一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小野寺 有一の意味・解説 

小野寺有一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/27 08:31 UTC 版)

小野寺有一

小野寺 有一(おのでら ゆういち、1883年明治16年)7月1日[1]1965年昭和40年)1月4日[2])は、衆議院議員岩手県釜石市長

経歴

岩手県東磐井郡黄海村藤沢町を経て現在の一関市)出身。岩手県巡査となり[3]、普通文官試験に合格して、1909年(明治42年)より岩手県警部を務めた[1]。その後、宮城県警部に転じ、角田警察署長、石巻警察署長、塩釜警察署長、高等保安警務課長を歴任[3]1921年大正10年)に警視に昇進し、仙台警察署長に就任した[1]。その後、伊具郡長となった。

1928年(昭和3年)より釜石町長を務め、1937年(昭和12年)に市制施行されると初代市長に就任した。

1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受けて出馬し、当選を果たした。

そのため、戦後、公職追放となった[4]。追放解除後も政界に復帰することはなかった。1965年死去。

脚注

  1. ^ a b c 『全国市長銘鑑』p.10
  2. ^ 『昭和物故人名録』 日外アソシエーツ、1983年。
  3. ^ a b 『岩手県名士肖像録』p.459
  4. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛釜石支部長推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、492頁。NDLJP:1276156 

参考文献

  • 『御大典記念 岩手県名士肖像録』岩手県名士肖像録刊行会、1930年。 
  • 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。 
  • 『衆議院要覧(乙)昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小野寺 有一」の関連用語

小野寺 有一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小野寺 有一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小野寺有一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS