小田急電鉄社長時代
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1948年12月に小田急電鉄社長に就任した安藤は、傘下となった箱根登山鉄道の箱根湯本駅への小田急線の直通運転に取り組むと共に、箱根・江ノ島の観光開発、そして百貨店事業への進出など小田急グループの発展に注力した。 とりわけ箱根での観光開発は、堤康次郎率いる 駿豆鉄道(現在の伊豆箱根鉄道)との間で箱根山戦争と呼ばれる企業競争を繰り広げた。 また、自身が小田原急行鉄道の一労働者から社長になったことから、労使協議会を発足させ、労使協調(安藤曰く、「労使協調」ではなく「労使一体」)に尽力した。
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