小熊幸一郎
小熊幸一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/23 07:52 UTC 版)
おぐま こういちろう
小熊 幸一郎
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生誕 | 1866年10月15日 |
死没 | 1952年7月4日(85歳没) 函館市 |
職業 | 実業家 |
栄誉 | 紺綬褒章、藍綬褒章 |
小熊 幸一郎(おぐま こういちろう、1866年10月15日 - 1952年7月4日)は、日本の実業家。北洋漁業の近代化と函館の経済発展に貢献し、「函館の恩人」と呼ばれた[1]。
生涯
越後国(現・新潟市)生まれ。8歳で養父母の小熊幸吉・タマ夫妻に引き取られる。1879年4月小学校卒業、翌1880年12月まで代用教員。1881年東京で丁稚奉公、その後新潟で海運業に従事[1]。
1887年函館に渡り、廻船問屋に勤務。1895年独立して仲買店を開業。樺太、カムチャツカ、沿海州で漁業を展開し、母船式サケ・マス漁業を推進。函館の港湾改修や冷蔵施設の充実に尽力[1]。
1918年(大正7年)、柳田藤吉が1901年に建設した赤レンガ倉庫群(柳田倉庫、後の弁天倉庫株式会社)を買収。現在の函館どつくレンガ倉庫[2]。1925年には北海道で2番目の営業冷蔵倉庫を建設[2]。
小熊育英資金、市立函館図書館、函館商工会議所建築費など巨額の寄付を行い、紺綬褒章、藍綬褒章を受章。1929年水産功労者として新宿御苑観桜会に招待された[1]。
関連項目
脚注
出典
外部リンク
- はこだて人物誌 小熊幸一郎 - 函館市文化・スポーツ振興財団
- 小熊幸一郎のページへのリンク