小林重吉とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小林重吉の意味・解説 

小林重吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 08:01 UTC 版)

小林重吉

小林 重吉(こばやし じゅうきち、1825年3月2日文化8年1月13日〉 - 1902年〈明治35年〉4月30日)は、幕末から明治にかけて活動した函館の商人。寛政年間に陸奥国北郡大畑村から蝦夷地へと渡った小林家の5代目[1]

1896年(明治2年)の箱館戦争に際しては明治新政府軍に味方し、旧幕府軍が海中に張った鋼索の存在を察知して警告するとともに、切断作業も行った[2]

同1896年の場所請負制廃止、1903年(明治9年)の漁場持制度廃止と変転が続いても、三石郡の漁場を経営し続けた[2]

1897年(明治3年)には大洲藩から洋式帆船「洪福丸」を5750両で購入して「万通丸」と改名。これは北海道で個人として洋式船を所有した最初の例といわれる[2]。また船員の育成にも力を注いでおり、1904年(明治10年)に自宅で無料の夜学を開講し、1906年(明治12年)には村田駒吉や田中正右衛門らとともに函館商船学校を設立した[2]

これらの功績から、北海道神宮末社の開拓神社祭神37柱に名を連ねている。

大正4年(1915年)、従五位を追贈された[3]

脚注

  1. ^ 伊藤 2008, p. 144.
  2. ^ a b c d 伊藤 2008, p. 145.
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.39

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小林重吉」の関連用語

小林重吉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小林重吉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小林重吉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS