小川喜一 (内務官僚)とは? わかりやすく解説

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小川喜一 (内務官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 03:42 UTC 版)

小川 喜一(おがわ きいち、1904年明治37年)4月5日[1] - 1979年昭和54年)8月18日[2])は、日本の内務官僚栃木県知事。

経歴

徳島県出身[3]京都高等蚕糸学校を卒業。1927年京都帝国大学農学部農林経済科を卒業。同年12月、高等試験行政科試験に合格。京都帝大で勤務し、1928年内務省に転じ茨城県属となる[4]

福井県書記官警察部長、警視庁警務部長、広島県部長・警察部長などを務め[5]1946年1月、栃木県知事となり、1947年3月、初の公選知事選に出馬のため知事を辞任するが次点で落選した[3]

1955年2月、日本社会党の支援を受けて二度目の知事選出馬で当選を果たした。任期の後半は少数与党のため困難な議会運営を強いられた。川俣ダム・川治第二発電所の建設促進、東北本線宇都宮大宮間の電化促進、教職員の勤務評定実施、県民室開設などの施策を推進した。1959年2月の知事選で落選[3]。1979年8月18日死去、75歳。

脚注

  1. ^ 『歴代知事三〇〇人』91頁。
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』280頁。
  3. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』277頁。
  4. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』265頁。
  5. ^ 『歴代知事三〇〇人』94頁。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『「現代物故者事典」総索引:昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
  • 八幡和郎『歴代知事三〇〇人:日本全国「現代の殿さま」列伝』光文社新書、2007年。
公職
先代
小平重吉
栃木県知事
民選第3代:1955年 - 1959年
次代
横川信夫
官職
先代
相馬敏夫
栃木県知事
官選第35代:1946年 - 1947年
次代
池田清志



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