小姬とは? わかりやすく解説

小姫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/08 06:48 UTC 版)

小姫(おひめ、天正13年(1585年)? - 天正19年7月9日1591年8月27日))は、安土桃山時代の女性。徳川秀忠の正室。織田信雄の長女。

生涯

織田信雄の長女として誕生した。

『寛政譜』は生母を北畠具教の娘(千代御前)としているが、彼女は三瀬の変(天正4年(1576年))のときに自害しているので、誤伝である。

のちに羽柴秀吉(豊臣秀吉)の養女になった[1]。秀吉の養女になった正確な時期については不明であるが、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦い終結後と推測される。天正18年(1590年)1月11日(または21日)、上洛した12歳の徳川秀忠と結婚した[2]。一説には、小姫は6歳であったという。縁組は織田家と徳川家ではなく、豊臣家と徳川家の縁組という意義を強く持っていた[3]。秀吉は関東出陣前に徳川家との絆の強化を意図しており、この結果が6歳での婚儀となった[3]。また、天正18年1月14日には、家康の後室となっていた秀吉の妹・朝日姫が亡くなっている。このため、朝日姫の死によって豊臣家と徳川家の婚姻関係の消滅することを憂慮した秀吉によって企図された婚姻関係であったとする見方もある[4]

ただし、小姫の年齢が当時6歳と幼かったことから、天正18年段階では縁組の取り決めを内外に宣言する、現代で言うところの「婚約式」を行ったもので、正式な輿入れが実現する前に小姫の早世があったため正式な婚姻には至らなかったとする見方もある[5]

父の信雄が失脚後も、聚楽第北政所のもとで養育された。翌天正19年(1591年)7月9日死去、享年不詳(先述の一説から換算すると7歳没)。死後は天瑞寺で法要が行われた。戒名の「甘棠院殿桂林宗香禅定尼」、「小夫人」の美称は7歳の童女としては異例の扱いである[3]

なお、『寛政重修諸家譜』では、天正18年(1590年)の実父・信雄の改易によって離婚後、織田家に復籍し、その後佐々一義と再婚して寛永18年(1641年)まで生きたと記述している。ただし、天童藩織田家の系譜においては秀吉の養女になった娘と一義に嫁いだ娘を別人としている。また、前述のように秀吉の養女として豊臣・徳川両家の婚姻関係の成立を目的としていたとした場合、実父・信雄の問題で豊臣・徳川両家の政略に基づく婚姻関係を破棄するとは考えづらいと思われる。

脚注

  1. ^ 坪内定益氏所蔵「織田系図」
  2. ^ 多聞院日記』など
  3. ^ a b c 渡辺江美子「甘棠院桂林少夫人―豊臣秀吉養女小姫君―」(米原正義先生古稀記念論文集刊行会編『戦国織豊期の政治と文化』続群書類従完成会、1993年)
  4. ^ 黒田基樹「羽柴(豊臣)政権における家康の地位」黒田 編著『徳川家康とその時代』戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 3〉、2023年5月。ISBN 978-4-86403-473-9。P288-290.
  5. ^ 片山正彦「書評 福田千鶴著『淀殿 -われ太閤の妻となりて-』」『豊臣政権の東国政策と徳川氏』 思文閣出版〈佛教大学研究叢書〉、2017年。ISBN 978-4-7842-1875-2。P78-80(初出は織豊期研究会『織豊期研究』9号)

小姫(こひめ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:30 UTC 版)

なんて素敵にジャパネスク」の記事における「小姫(こひめ)」の解説

涼中将阿久の間に生まれた娘。阿久他界した後は、涼中将引き取られ聡子姫によって育てられている。義母である聡子姫慕っており、実の叔母である於夏に連れて行かれそうになった時には泣いて嫌がっていた。また、義理叔母にあたる瑠璃にも懐いている。

※この「小姫(こひめ)」の解説は、「なんて素敵にジャパネスク」の解説の一部です。
「小姫(こひめ)」を含む「なんて素敵にジャパネスク」の記事については、「なんて素敵にジャパネスク」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「小姬」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

小姬のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小姬のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小姫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのなんて素敵にジャパネスク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS