尊王志士・義民として活動した猿田氏
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「猿田氏」の記事における「尊王志士・義民として活動した猿田氏」の解説
猿田幸之介: 那珂郡小場村組頭 猿田幸次郎の長男。天狗党の乱にて天狗方に属すも那珂湊を出て潜伏中の元治元年(1864年)8月22日、黒羽藩兵に囲まれ戦い討ち死にする。享年26。靖国神社合祀。 猿田雄彦: 久慈郡東蓮池村の医師。諱は政徳。天狗党に加わり、元治元年(1864年)同郡千寿村にて捕えられ、9月27日に獄死する。享年47。靖国神社合祀。 猿田忠夫: 天狗党に加わり、捕えられる。慶応2年(1866年)2月4日、斬首。 田中愿蔵: 水戸藩の藩医 猿田玄碩の次男。田中秀貞に養子入りし昌平黌の門に入る。帰郷後、郷校時雍館の館長を務める。天狗党に加わるが、元治元年(1864年)栃木村に放火するなど民百姓への暴挙があり、民衆から忌み嫌われた。捕えられ、同年10月16日、斬首となる。
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