射撃壕への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 04:39 UTC 版)
「第二次チャールストン港の戦い」の記事における「射撃壕への攻撃」の解説
ギルモアの注意はワグナー砦に向かった。このときまでにギルモアの部隊は南軍工作物に十分近くなっており、歩兵が行動できた。8月21日、ジョージ・B・ダンディ大佐がニューヨーク第100歩兵連隊を率い、ワグナー砦の射撃壕に殺到した。ニューヨーク兵は素早く暫定哨戒線を確立したが、短命に終わった。ハーグッド将軍が反撃を命令し、ダンディ隊を排撃した。ダンディの攻撃後に、南軍の工兵が射撃壕の強化を始め、北軍に再度攻撃をさせて損失を出させることを期待していた。その工作が完成する前に、ギルモアがアルフレッド・H・テリー師団長に射撃壕を占領するよう命令した。テリーはトマス・G・スティーブンソン准将の旅団からマサチューセッツ第24歩兵連隊に、攻撃を先導するよう備えさせた。これを支援したのがニューハンプシャー第3歩兵連隊だった。マサチューセッツ第24歩兵連隊の各員はショベルを2つずつ装備し、占領した射撃壕を即座に造りなおした。8月25日夜、スティーブンソン将軍が、レクア砲からの援護の中を自ら攻撃を率いた。この攻撃はノースカロライナ第61歩兵連隊を圧倒し、その多くが降伏した。砦の指揮官ジョージ・P・ハリソン大佐が大砲による反撃を命令したが、射撃壕が既に新しい包囲戦に変わっていた。9月5日、ギルモアとダールグレン提督がワグナー砦に対して36時間の激しい砲撃を加え、残っていた守備隊の100名を殺した。
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