対策協議会の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:10 UTC 版)
1964年: ジェット機の騒音対策として周辺8市で結成された。通称は「8市協」であった。 1971年: 3市(吹田・大阪・芦屋)が加わり、「11市協」となった。 2005年: 地元商工会議所でつくる大阪国際空港及びその周辺地域活性化促進協議会(空港活性協)の申入れなどにより、騒音災害を理由とした空港廃止から、経済振興の観点からの空港存続への政策転換に対応して、名称を「大阪国際空港騒音対策協議会」から「大阪国際空港周辺都市対策協議会」に変更した。 2009年6月: 中川智子宝塚市長は、社民党時代は批判的だった大阪国際空港について「当時は色々な活動をしたが、今は無くなったら市民が困る」と増便など活性化に力を尽くす考えを示した。
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