寝殿造の規模
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:55 UTC 版)
寝殿造で一番記録が残るのは東三条殿(画像030)であるがそれは最上級のクラスであって、「寝殿造の最小単位」などとも言われる藤原定家の一条京極亭(画像060)の寝殿は三間四面で、おまけに南庇は弘庇。他には侍所に、台所を兼ねているのだろう北屋に車宿、そして持仏堂だけで、最初は中門廊すら無かった。嘉禄2年(1226)だから定家は既に公卿である。寝殿造には上記のような小規模のものまで含む。 従って、寝殿造は『中右記』に「件御所如法一町之家也」(後述)と賞賛された邸宅のレベルを「大規模寝殿造」とすれば、その倍の敷地をもつ東三条殿(画像030)などの「超大規模寝殿造」、それより下には二棟廊に中門廊は持つが対(たい)を持たず、敷地も場合によっては1/4町程度という「中規模寝殿造」、藤原定家の一条京極亭(画像060)などのように二棟廊も持たない「小規模寝殿造」と、規模とランクに幅をもつ建築様式である。
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