宮廷舞踏会の指揮者に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:07 UTC 版)
「ヨーゼフ・ランナー」の記事における「宮廷舞踏会の指揮者に」の解説
1824年、「宮廷レドゥーテンザール音楽指揮者」に任命された。これにより、ウィーンで最も格式高いとされる舞踏会場レドゥーテンザールでワルツが踊られるようになった。ランナーの指揮そのものは好評を博したものの、彼自身が礼儀を知らない人物であったために笑いだねとなり、貴紳の人々を困惑させた。 あるとき、ゾフィー大公妃(のちのフランツ・ヨーゼフ1世の母)の前に行って燕尾服を脱いで見せ、「どうです、ご覧ください。汗びっしょりになりましたよ。」と笑ったことがある。またあるときには、千鳥足で会場に入ってきて、指揮台に登ろうとした。式部長官クッチェラ男爵が押しとどめようとした際、ランナーは憤慨して「いったい何をお考えですかね、閣下。私はあなたと同じように酔っぱらっちゃいないですぞ。しかし私が酔っぱらっていたとしても、誰も私を阻むことはできないのだ。あの指揮台に行くことは、皇帝陛下(フランツ2世)がお許しになったのですぞ」と言い放ったという。このような素行から、宮廷舞踏会の指揮者にはふさわしくないと判断され、すぐにその職から降ろされてしまった。
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