宗氏領国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 10:05 UTC 版)
経済や鉱業の発達に加えて、宗氏の敷いた領国制度もまた貿易拡大の原動力となった。宗氏は朝鮮半島にほど近い対馬を領国とし、日朝貿易において主導的な役割を果たしていた。しかし、対馬は山がちで土地が痩せて米が収穫できず、島内勢力の多くは朝鮮へ通交し経済的基盤としていた。そのため対馬では土地を通じた領国形成は困難であり、宗氏は朝鮮通交権を掌握し知行として家臣団に分配することで領国支配を推し進めた(宗氏領国)。こうした体制下では通交権不足は宗氏の求心力低下に直結し、領国支配の根底が揺らぎかねない問題であった。加えて、1444年に盛国(宗貞盛の弟)が肥前春日嶽で大内氏に敗死した後宗氏は北九州における所領を喪失しており、失地の代替として家臣団に宛がう通交権を必要としていたのである。1443年の嘉吉条約により宗氏の通交権は年間50隻に抑えられることになるが、条約締結の翌年にも半年で定約分を使い切り歳遣船の増枠交渉を行っている。宗氏は特送船(緊急の通報のためと銘うって派遣された外交用使送船)を歳遣船の定数の外に置く、あるいは有力庶家名義の歳遣船を島主歳遣船(宗氏本宗家名義の歳遣船)とは別に定約するなど通交権の拡大を図るがそれでも十分ではなく、深処倭(対馬以外の日本人)名義の通交権を入手し偽使を派遣することで通交の拡大を図った。
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