宋義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:48 UTC 版)
「項羽と劉邦 (小説)」の記事における「宋義」の解説
旧楚で令尹(関白のような位)を代々務める名族・宗氏の出身で、陳勝・呉広の乱で旗揚げした項梁に力添えを申し出た。その名望が兵の徴募に有用と考えた項梁はこれを受け入れるものの、宗義が令尹として常に懐王の傍らに近侍して権勢を奮うために相対的に項梁の影が薄くなることとなり、項梁にとっては手痛い政治的失策となった。項梁の死後は後継者たる項羽から楚軍の指揮権を取り上げて楚の外交と軍事を一手に掌握し、項羽と対立することとなる。ところがほどなく隣国斉の内紛に肩入れしたことが仇となって内通を疑われ、それを口実に項羽に殺された。
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宋義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 08:21 UTC 版)
「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の記事における「宋義」の解説
楚の将軍。項梁に「地の利を考え、都を淮西から盱眙に移すべし」と自分の考えを進言し採用される。後に秦の包囲を受けた趙の鉅鹿を救援するための総大将を務めるが、斉と内通していた疑惑が浮上し、副将の項羽に斬られ、息子の宋襄も殺害される。
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