安部公房の「榎本武揚」観
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「榎本武揚 (小説)」の記事における「安部公房の「榎本武揚」観」の解説
安部公房は榎本武揚について、「もし、節操の欠如だけが、彼の行動原理だったとしたら、なにも五稜郭で共和国宣言をするような、挑発的言動に出なくとも、もっと有利な条件で薩長勢と和解する機会は、それまでにも、いくらもあったはず」だとし、以下のように考察している。 文久二年から、慶応三年までという、幕末動乱期の最後の五年間を、すっかりオランダ留学ですごしてしまった榎本にとって、佐幕か勤皇かなど、もはや本質的な対立とは見えなくなってしまっていたのではあるまいか。彼の「渡蘭日記」が、セントヘレナに到着の前夜、ナポレオンをしのぶ詩を最後にして中断されていることなども、はなはだ暗示的なことである。また留学中、デンマーク王国が、プロイセンに一気にじゅうりんされる様を目のあたりに見て、なんの感慨もわかなかっただろうなどとは、想像するほうが困難なくらいだ。このころ知った赤十字精神を、彼は後に箱館戦争でさっそく実施し、敵味方を煙にまいている。 — 安部公房「幕末・維新の人々」
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