安部公房の「榎本武揚」観とは? わかりやすく解説

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安部公房の「榎本武揚」観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 13:42 UTC 版)

榎本武揚 (小説)」の記事における「安部公房の「榎本武揚」観」の解説

安部公房榎本武揚について、「もし、節操欠如だけが、彼の行動原理だったとしたら、なにも五稜郭共和国宣言をするような、挑発的言動に出なくとも、もっと有利な条件薩長勢と和解する機会は、それまでにも、いくらもあったはず」だとし、以下のように考察している。 文久二年から、慶応三年までという、幕末動乱期最後の五年間を、すっかりオランダ留学すごしてしまった榎本にとって、佐幕勤皇かなど、もはや本質的な対立とは見えなくなってしまっていたのではあるまいか。彼の「渡日記」が、セントヘレナ到着前夜ナポレオンをしのぶ詩を最後にして中断されていることなども、はなはだ暗示的なことである。また留学中デンマーク王国が、プロイセン一気にじゅうりんされる様を目のあたりに見て、なんの感慨もわかなかっただろうなどとは、想像するほうが困難なくらいだ。このころ知った赤十字精神を、彼は後に箱館戦争でさっそく実施し敵味方を煙にまいている。 — 安部公房幕末維新人々

※この「安部公房の「榎本武揚」観」の解説は、「榎本武揚 (小説)」の解説の一部です。
「安部公房の「榎本武揚」観」を含む「榎本武揚 (小説)」の記事については、「榎本武揚 (小説)」の概要を参照ください。

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