安藤恭子_(元皇族)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 安藤恭子_(元皇族)の意味・解説 

安藤恭子 (元皇族)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/17 04:57 UTC 版)

安藤 恭子
(恭子女王)
閑院宮家磐城平安藤家
大正時代撮影
続柄 閑院宮載仁親王第1女子

全名 安藤 恭子(あんどう ゆきこ)
身位 女王 →(皇籍離脱
敬称 殿下 →(皇籍離脱)
出生 (1896-05-13) 1896年5月13日
死去 (1992-12-28) 1992年12月28日(96歳没)
埋葬 多磨霊園
配偶者 安藤信昭
子女 安藤信敬
菅沼朋子
安藤信和
安藤信暉
佐々木祥子
野井康子
安藤治子
父親 閑院宮載仁親王
母親 載仁親王妃智恵子
栄典 勲二等宝冠章
テンプレートを表示

安藤 恭子(あんどう ゆきこ、1896年明治29年〉5月13日 - 1992年平成4年〉12月28日)は、日本子爵安藤信昭の夫人[1][2]。元皇族で、旧名は恭子女王(ゆきこじょおう)。閑院宮載仁親王の第1女子。母は、三条実美公爵令嬢・智恵子皇籍離脱前の身位女王で、皇室典範における敬称殿下

生涯

1896年明治29年)5月13日閑院宮載仁親王同妃智恵子の第1女子(第2子)として誕生[2]

1915年大正4年)、従五位子爵安藤信昭との結婚が決まると、同年8月24日宮中三殿を参拝し[3]9月2日には、皇太子裕仁親王から御悦として紅白縮緬が贈られた[4][注 1]。翌9月3日に降嫁した[5]

1992年平成4年)12月28日、96歳で逝去した[2]

系譜

この項目は、他に注が無い限りは霞会館 1996, p. 33, 74を参照した。

栄典

脚注

注釈

  1. ^ 父宮には同じく五種交魚が贈られた[4]

出典

  1. ^ 霞会館 1996, p. 33.
  2. ^ a b c 霞会館 1996, p. 73.
  3. ^ 『官報』第917号, p. 437, 宮廷録事.
  4. ^ a b 宮内庁 2015, p. 147.
  5. ^ 『官報』第928号, p. 65, 宮内省告示第十九號.
  6. ^ 『官報』第919号, p. 484, 敍任及辭令.

参考文献

書籍
官報
  • 『官報』 第917号、1915年8月21日。 
  • 『官報』 第919号、1915年8月24日。 
  • 『官報』 第928号、1915年9月4日。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  安藤恭子_(元皇族)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「安藤恭子_(元皇族)」の関連用語

安藤恭子_(元皇族)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



安藤恭子_(元皇族)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの安藤恭子 (元皇族) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS