安積疏水開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 00:58 UTC 版)
その後、明治政府によって安積疏水(1881年完成)を初めとした安積原野の開発事業が行われ、郡山(1924年市制)が商工都市として発展した。中通りを南北に貫く東北本線、東の平へ至る磐越東線、西の会津若松や新潟へ至る磐越西線、南東の棚倉や水戸へ至る水郡線と、次々と建設された鉄道の結節点となった郡山駅を持つ郡山が、交通都市としても勃興し、1935年には福島県第1の人口を擁する都市圏となった(→郡山都市圏)。 一方、北の拠点である福島市は、南北軸である東北本線に加えて、東の中村、西の米沢や坂町への交通拠点であるが、米沢や坂町へ至る鉄道路線(奥羽本線・米坂線)は建設されたものの、中村への鉄道路線は建設されなかった(→阿武隈急行線)。
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