安川雄之助の解任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 06:13 UTC 版)
三井物産の筆頭常務だった安川雄之助は、大正末から昭和初期の不況下で利益至上主義的な経営姿勢により経営を拡大した。だが、満州事変では張学良軍に塩を売り込み、上海事変では十九路軍に鉄条網用針金を売り込むという国賊的な利敵行為を行い、中小商工業者が長年かけて開拓した国内外の市場を強力な資本力で横取りし、さらに、疲弊した農村の小生産業者を同業組合にして搾取していると、マスコミに批判された。また、東洋レーヨン株式公開ではスキャンダルになった不公平な配分を行ったと批判された。そこで池田成彬は三井財閥批判を鎮静化するために安川に勇退を迫ったが、聞き入れられなかった。だが三井高公が池田を強く支持すると、1934年1月に安川雄之助は三井物産筆頭常務を辞任した。一部のマスコミは、これを三井物産のコマーシャリズムの転向と報じた。安川の退陣後に、三井物産は国内の中小工業者を圧迫するような商売を辞めた。
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